ほぼほぼひとりごと

クラシックの歌を歌っています。歌のこと猫のこと日常のことぶつぶつ言ってます。

自分史 その2

小学2年生の夏ころから、新しい先生のところに通い始めた。


徳山寿子先生。

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当時ですでに70台半ば過ぎというご高齢で、背中はお年のせいで丸くなっていたけれど、いつもしゃんとしていらして、髪型はモガらしく超短い(むしろ刈上げ)ボブ、赤い口紅をひいてきちんとした身なりをしていらした。

きりっとしたお顔立ちや、鼻の形、痩せてとがった顎など、どこかほうきに乗って夜空を飛んでいる魔女を彷彿とさせた。


なぜこの先生に師事することになったのか、当時の私は知る由もなかったが、後で聞いたところによると、ピアノを習い始めた私は、早いうちから絶対音感があったらしく、それに色めき立った親戚のピアノ弾きのお姉さんが、この子にはきちんとした音楽教育を、ということで、自分が師事していた素晴らしい先生のところに送り込んだ、ということだったらしい。

なにもしらない小学校2年生の私は、毎週土曜日の午後、この先生のもとに通うようになった。


先生ご自身は、小さな頃から音楽が好きで好きで、音楽の道に進みたかったのだけど、何人か兄弟の長子で、下の兄弟たちのお手本になり、日本一難しい学校に入りなさいとお父様から言われていたそう。
音楽をやることなんて許されないので、自作した紙の鍵盤で夜中にこっそりピアノの練習をする一方でお茶の水女子大に合格、そこで2年間在学したのち、やはり音楽を諦められず、大学3年の2学期から音大に編入した、という話を何度となく聞かされた。

そんな苦労人の先生のレッスンは、本当に厳しいものだった。

 

土曜日の午後は、小学生が4~5人集まって聴音、新曲視唱、楽典、そのあとピアノの個人レッスンというフルコース。
聴音なんてみたこともきいたこともなかった私は、初めてのレッスンで大量の汗をかくことになった。

先生が調性、拍子、小節数などをはじめにおっしゃって、それから課題をピアノで弾き始めるわけだけど、どうしたらいいのか全く分からない私は、鉛筆をもって五線紙をじっと見つめてただただ汗をかいていた。
悩んだ挙句、とりあえず全部四分音符で、聞き取れた音だけ五線の上に並べていった。
音大の入試では聴音は4回弾いてくれるけど、試験の時に余裕を持てるようにと、先生のところでは3回しか弾いてくれない。
いや、4回弾かれても5回弾かれても10回弾かれようとも書けなかっただろうと思うけれど、とにかく先生が3回弾き終えるとそこで答え合わせ。
自分が書いた譜面を見ながら、みんなで声を合わせて歌うのだ。
もちろん、聞き取れた音のみをすべて四分音符で書いただけで、小節線も臨時記号も休符も、いや、ト音記号さえ満足に書けなかった私は、そんな楽譜を見て歌えるわけもなく、ここでもただただ嫌な汗をかいていた。

四分音符のみが五線の上でいびつに踊っているその楽譜は、今でも脳裏に焼き付いている。

 

そこで初めて、楽譜の書き方を教わった。
いつも弾いている音楽を楽譜にする、楽譜を音にする、その関係を初めて知ることになった。


新曲視唱ははじめから割と好きだったように思う。
いつも左手に教本をもって、右手で右腿の横をたたいて拍子をとりながら歌っていたので、今でもそのクセが抜けず、新曲の譜読みの時はそのようにしている気がする。

 

楽典もまた、楽しかった。

それまで感覚でやっていたことを言葉で説明していただき、また先生独自の教え方によって、より深く頭に入っていった。

 

このとき徳山先生にみっちり仕込んでいただいた音楽の基礎は、今でも体に染みついていて、私の大きな財産になっている。